朝陽が差し込む小さな町・新下川(しんしもがわ)に今年、風変わりな祭りがやってきた。子どもも大人も老人も、皆が手にタブレットや眼鏡型デバイスを握りしめ、色とりどりのバーチャル蝶を追いかけている。これは、町の有志らが立ち上げた「拡張現実蝶まつり」。現実とデジタルが柔らかく溶け合う喜びの体験が、世代を超えた絆を生み出し始めている。
祭りの仕掛け人は、地元の工芸教師・秋元美作(あきもと みさく、52)。「子どもたちがデジタルに夢中で、昔ながらの祭りから足が遠のき始めていた。でも、蝶が町を彩ってくれたら、きっとみんな集まれると考えたんです」。彼女は、現実世界のランドマークに対応した拡張現実空間上に“蝶の棲み家”をプログラムした。参加者は自宅や公園、時には商店街を歩き、ジェスチャーコントロールや声でバーチャル蝶と触れ合うことができる。
最初は物珍しさから集まった子どもたちの中に、意外な来訪者が現れた。町内に住む陶芸家・水野重信(みずの しげのぶ、74)だ。デジタル機器は苦手だが、孫に誘われて参加したという。「正直、最初は全然わからなかった。でも蝶を追いかけるうち、子どもたちの笑い声にひきこまれてね。昔話を聞かせたり、逆に機械の使い方を教わったり。なんだか若返った気さえします」
この祭りのもう一つの醍醐味は、3Dモデリングで町民一人ひとりが自分だけの蝶をデザインできる点だ。小学5年の花井遊美(はない ゆうみ、11)は、母と一緒に作った“星空の蝶”を町中に放った。「お母さんが、子どものころ見た天の川をイメージしてくれたんだって」遊美の蝶は祭り参加者の間で人気を博し、地域のSNS上でも「#遊美の星蝶」と話題になった。
拡張現実の蝶まつりは町に優しい変化をもたらしている。イベント後も、普段ほとんど話さなかった年代の違う住民が道端で声をかけあうようになった。参加者のアンケート調査では9割以上が「また来年も開催してほしい」と回答。「蝶の羽ばたきが、人の心まで軽くしてくれるとは」と秋元教師は微笑む。専門家の村上律子(SNS文化研究家)も「世代や場所を越えた“共創”の場が、地域の新しい考え方やつながりを生んでいる」と評価する。デジタルと手作りが共に息づく春祭りは、この町に小さな奇跡をもたらした。
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